ヒストリー

二輪用品市場を牽引してきた「南海部品」ヒストリー【二輪車関連老舗ブランドの肖像】

「私たちの役目は、お客様に夢を提供すること」

断っておくが、これはタイアップ記事ではない。
80年代の異様とも思えるバイクブームが去っても、国内には今日まで力強く存在する二輪関連の老舗ブランドがあるのはなぜか、その理由を知りたいと思ったのだ。

第1回は昭和26年(1951年) に大阪で創業した南海部品。
二輪関連の小売業として時代ごとにエポックを提供しながら、今日まで約70年、二輪の用品マーケットを牽引(けんいん)してきた同社のヒストリーを辿ってみよう。

report●関谷守正 photo●清水良太郎

中嶋英雄代表取締役社長

時代の契機を読み即座に行動した

80〜90年代、バイクブームを背景に東京・上野には二輪販売や用品の販売を合わせて100軒近い店があったという。
それから30年を経た今は、ほぼ跡形もなくなってしまったのは残念だが、その端緒(たんしょ)は50年代初頭の戦後復興にあった。

その上野のバイク街が形成され始めようとしていた頃、51年に大阪で一軒の自動車部品の卸売店が創業した。
現在の南海部品のルーツである中嶋商店だ。
この年は食糧公団が解体され米穀店が復活、日本航空の設立、紅白歌合戦の開始など、日本が戦後復興の最中にあった頃だ。

前年には自動車の統制価格が廃止され、翌52年にはホンダからカブF型が発売される。
つまり、中島商店はこれからモータリゼーションが到来する予感に満ちた時代を背景に創業された。
そして、当初は自動車部品の卸売だった業務はすぐに小売に拡大していった。
「小売を始めた契機はアライヘルメットの誕生など、バイク用品が増えてきたことでした」と、二代目となる中嶋英雄社長は言う。
アライが国内初の二輪用ヘルメットを開発・販売したのは、53年に中嶋商店が社名を現在の南海部品とした頃だ。
機を見て敏、商売は先手必勝と言われるが、南海部品は58年に日本初の二輪用品ショップとして54坪のショールームを構えると同時に、ユーザーに対する訴求効果を考えて通信販売を始めている。
「まだヘルメット着用の義務がなかった時代でしたが、“宣伝になりますよ”とヘルメットに店名を入れて薬の卸問屋などにセールスもしていました。昭和35年(60年)頃には競合も増えてきましたから、優位に立つ方法としてレザーウエア類など、オリジナル商品の製造販売も始めています。これが今日に続く、大きなポイントになっていると思います」

58年に日本最初の二輪用品小売ショップとして、現在の本社所在地付近にできたショールーム。二輪ユーザーや関係者の注目を集めた
南海部品の61年の総合カタログの表紙。2色カラー全36ページと豪華である。
南海部品の61年の総合カタログの表紙。2色カラー全36ページと豪華である

ちなみに、南海部品という社名の、意味や理由を訪ねてみた。
「創業者である父の出身地である淡路島周辺の海のイメージと、社員達にとって“南の海のように暖かい会社になるよう”に、という願いがあると申しておりますが、実は当時プロ野球で南海ホークス(現ソフトバンクホークス)が強かったからなのです(笑)。野球が好きだった父が南海ファンだったので、その強さにあやかったというわけです」

そして、69年には全国販売網の確立を図り『南海スピードショップチェーン』=NSCを展開する。
これは二輪業界初となるフランチャイズチェーンの試みであり、当時は各店舗が独自の屋号を掲げて小売店を営んでいたが、“南海部品の看板を掲げた方が、商品がよく売れる”という事例も影響して、翌年には65店もの加盟店が名を連ねるほど急速に発展していった。

65年頃の総合カタログより。レザー製ジャケットやアパレル、そしてヘルメットが並ぶ。レザージャケットが7、8000円、レザースーツが約2万円、ヘルメットは最も高いもので6800円(上から2番目、4番目はアライ製)。ハガキとじ込みで通販に対応

トップライダーが着た『トップライダー』

創業者の長男である中嶋社長は78年に、当時日本最大規模の二輪用品小売店として誕生した南海部品箕面(みのお)店に店長として入社。
現在も直営店として存在する箕面店は、70年の大阪万博で新御堂筋ができ、大阪市北部の交通環境が良くなったことに商機があると開店した。

家業に就いたのは、現在、副社長を務める弟さん共に兄弟でクルマ好きだったことと、小売業に興味があったからだという。
子供の頃から家には配達用のミゼットやお客のバイクがあり、それを見ながら育ったからだろう。

当時の一般的なバイク用品店は40坪程度の敷地面積で営業している店舗が多かった。
しかし、中嶋社長が店長を務める箕面店は、約3倍となる120坪という異例の広さでオープン。
また、二輪専用のタイヤチェンジャーやホイールバランサーをバイク用品店として初めて導入したのも特筆すべき点だ。
フランチャイズチェーン展開や店舗の大型化、機材の導入による多様なサービスの提供など、今日のバイク用品店に見られる当たり前の営業形態の原点となったのは、まぎれもなく南海部品だったのだ。

80年代に入ると、レースブームも追い風になった。
レーサーレプリカが全国の街や峠道に溢れかえり、レザースーツなどのレーシングウエアを着るライダーが街なかで見られるようになるほど売れ始めた。
85年、南海部品は当時のGPで大注目を集めていたフレディ・スペンサーといきなりスポンサー契約を結んだ。

1985年、契約時に来日し記者会見で挨拶するフレディ・スペンサー。83年にホンダNS500で最年少GPチャンピオンになり、世界の頂点にいた。このとき23歳、まさにこの時代を象徴するライダーだった
南海部品箕面店では、スペンサーのサイン会が行われた。当然ながら多くのライダーがやってきた

南海部品の自社ブランド『トップライダー』のレザースーツを着たスペンサーはこの年、デイトナ200マイルでフォーミュラ1、250㏄、そして200マイルの3クラスを制覇し、同年にGP500と250でダブルチャンピオンの獲得という偉業を達成する。
その際に彼が着用していたトリコロールカラーの、それとロスマンズカラーのレザースーツが売れに売れた。
「当時はまだ南海部品の詳細な情報が海外にはなかったため、レザースーツの専門ブランドだと思われていたらしく、“ナンカイ・レザー”と呼ばれていました(笑)」

88年にスペンサーは一度、引退を発表。このレザースーツはその引退セレモニーで着用したものと思われる

その後も90年代初頭までにクリスチャン・サロン、ウェイン・レイニー、ワイン・ガードナー、マイケル・ドゥーハンなど、他にも多くの有名ライダーと次々に契約。
彼らが着用し、そのフィードバックを得ることで、南海部品のレザースーツ製作技術は飛躍的に進歩することとなり、トップライダーは一気に世界のブランドへと駆け上がった。
最盛期には年間2万着もレザースーツが売れたというから驚きだ。
単純計算だが、平均すれば1日あたりなんと50着以上が世に出ていったということである。

こちらは86年の鈴鹿8耐で、平忠彦のペアとしてテック21チームで走ったドミニク・サロンのもの
南海部品の92年当時の契約ライダーは、レイニー、ドゥーハン、ガードナーを始めとした当時のトップライダーばかりだった
南海部品の’92年当時の契約ライダーは、レイニー、ドゥーハン、ガードナーを始めとした当時のトップライダーばかりだった

惜しげもなく投資したスポンサー活動

同時にその頃の南海部品はレース主催、TVCMだけではなく、二輪専門番組の制作まで行い(TV大阪のLaLaバイククォーター、後にLaLaバイクパラダイス)、現在は引退した芸能人・島田紳助が監督した映画『風、スローダウン』(91年公開)にも関わっている。
バイクブームが去った後には、プロ野球チーム・近鉄バファローズとの縁で、京セラドームにスポンサー看板も出した。
キャッチャーの背後に映る南海部品の広告を目にした覚えのある人は、ライダー、非ライダーを問わず多いだろう。
「なぜそこまでしたのかと言えば、私たちは常に“お客様に夢を提供すること”をモットーに考えており、そのために昔から、他の人や企業がやらないことや、新しいアイデアを形にしてきたのです」

こうして、南海部品のブランドバリューや知名度は、特に関西圏を中心に絶大なものとなった。
関西ではバイク用品店=ナンカイと認知されていると言っても過言ではない。
結局、バイクブームやレースブームが去っても、長年に渡って築き上げたブランド力や企業体質、そして先見性によってビジネスの基盤は揺るがなかった。

東北復興支援として2011年に一度だけ鈴鹿8耐に復活したチーム・シンスケのレザースーツ(過去最高位タイの14位で完走)

そして時代ごとに、売れ筋の商品は変わってきた。
南海部品では純正自動車部品、チューニングパーツ、レザースーツ、アパレルと来て、現在はヘルメットが販売の主力だ。
時代を反映して、インバウンドの客層も多いという。

これから展開しようとする具体的なアイデアなどを教えてもらえるわけもないが、南海部品には他にはない独自の強みがあると中嶋社長は本音を漏らしてくれた。
「私たちの強みは、オリジナル商品を作ることができる体制が確立していることにあり、お客様のニーズにすぐ対応できます。同じように、過去には部品関係の海外輸出も行っていたため、そのコネクションがあるので海外展開も容易です。また、社員も一丸となって新しいアイデアの実現に向けて努力しています。
『オートバイ用品のデパート』というコンセプトを基に走り続けた約70年ですが、その志は今でも変わりません。初心者からベテランまでのあらゆるライダーの要望に応える存在であり続け、南海部品を含めたバイク業界そのものを大きく発展させていきたい。それが南海部品の目指す未来なのです」

「これからもオリジナルのアイデアで勝負します」

昭和時代の主な会社沿革

昭和26年11月:大阪市城東区関目町にて中島商店を開業。
昭和28年4月:現住所に南海部品株式会社を設立。
昭和33年11月:日本国内初のオートバイ用品ショップを本社に隣接し、国道2号線沿いに増設。全国の二輪ユーザー・業界より注目を集める。
昭和35年8月:スズキ純正部品西日本総代理店としてスズキ部を堂島北町に開設。
昭和44年2月:全国販売網確立の一環として南海スピードショップチェーン(N.S.C)を結成。
昭和53年7月:箕面市萱野に日本最大規模のオートバイ用品大型小売店・南海部品箕面店を開店。
昭和63年4月:南海部品株式会社本社社屋落成年並びに会社設立35周年を迎える。

NOTE

南海部品
TEL:06-6344-1581
http://www.nankaibuhin.co.jp

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