ヒストリー

【バイク熱狂時代は永遠に:1】1980年代を駆け抜けた“彗星” 大垂水峠のヒーローは今なお激速

●東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の間にある大垂水峠(国道20号)。写真は往年の姿

 

"彗星"と呼ばれた男

レーサーレプリカブーム華やかりしころ、全国各地の"峠" には若者たちが日々多数集結。
朝と言わず夜と言わず、自慢のマシンを駆ってコーナーを攻め立てる彼らのなかにも"別格" はいた。
当時の大垂水峠を知る人に話を聞くと、必ず出てくる「通り名」を持つ伝説的ライダーの肖像。

report●小川恭範 photo●岡 拓

※本記事はMotorcyclist2016年1月号に掲載されていたものを再編集しています。

 

解体のために東奔西走

「いつも地方へ行って数カ月単位の仕事をしているんですよ。ちょうど埼玉の自宅に戻ってきているタイミングだったのでよかったです」

大雨の影響もあり、想定していた時間から少々遅れた取材班。
どんなイカツイ人を待たせてしまったのか……。戦々恐々としながら到着すると〝大垂水峠のカリスマ〟は、こちらが恐縮してしまうほど腰の低い、かつ快活なナイスミドルだった。
〝彗星〟こと堂薗道雄(どうぞのみちお)さんは現在51歳。

●今も多くの人に強い印象を残しているNS250Rを駆る姿。走行時の先頭は、彗星さんの指定席

元国際A級ライダーで、今は薗堂エンジニアリングの重機オペレーター兼ガス切断工として、日本各地をまたにかけた活躍を見せている。
「つい直近まで山形にずっといて、12月からは山口へ行って3カ月ほど過ごす予定が入ってます。仕事の内容はプラントの解体……。つまり、古くなり、使わなくなった工場の施設を次々に壊していくんですね」

●82年から93年まで続けたレース活動。最初期は、じつに数百台単位のマシンが予選に詰めかけた125/250のプロダクションレースに参戦。毎戦、予選通過をはたして注目された

街なかで見かけるような、そこいらの解体現場とはスケールが違う。
沖縄では製糖工場解体を丸ごと担当。また、工場にはつきもので撤去が困難な巨大煙突(60mクラスはザラで、中には100m超のものも)さえ、迅速かつ安全に取り払う。
「大きな煙突を倒すときの緊張感は、レースの出走前と同じですよ。いざスタートしたら、一瞬でもためらってはダメ。相方と50トンクラス重機2台のブレーカーで根元をたたき、強固な土台を崩すんです」

ちなみに堂薗さんが信頼を寄せる相方もバイクレース出身者とか。
「建築や解体の業界には、元レーサーって人が多いですよ。相方の彼もそうですけど、みんな負けず嫌いで真剣だから技術習得も早い。こっちも抜かれないよう必死です(笑)」

そんな堂薗さんがバイクと最初に出会ったのは、新聞配達アルバイトでのスーパーカブ。働いて貯めたお金でホンダMB5を購入した。
「免許を取得した16歳当時、自宅は所沢にありました。とにかく釣りが大好きで、バスやコイ目当てに多摩湖へ向かうための便利な足が欲しかったんです。ところが行く途中の峠や周遊道路を攻めることが、だんだん楽しくなってきて……。そのときから〝彗星〟を名乗り始めました」

●長いさおや釣り道具を満載した愛車MB5とともに、魚を求めていろんな水辺へ。このころ、別冊MCの取材を受けたが、学校がバイク禁止なので匿名を希望

 

→次ページ:大垂水峠の〝彗星〟はサーキットへ翔んだ

 

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