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■その高性能と異色のフォルムで一時期注目を浴びた1988年発売のTDR250。カタログの表紙より
折からのバイクブームに乗り、国内メーカー各社の販売競争が激化した80年代。新たなコンセプト打ち出したものやカテゴリーのすき間をねらったニューモデルが数々登場したが、バブル経済へ向かう80年代後半も新ジャンルを開拓すべく、様々なモデルが投入された(斬新すぎたか、1代限りで終わったものも少なくないが)。
というわけで、80年代前半のカテゴライズ不明バイクを紹介した記事に続き、第2弾・80年代後半編をお届けしよう。
ヤマハ AG200(1985年2月発売)「AGはAGRICULTURE=農業の略」
直訳すると車名は「農業200」だが、いわゆる農耕地での移動や運搬に使われるバイクのこと。ホンダのCTシリーズと成り立ちは近く、オセアニア地域(オーストラリア、ニュージーランド)などで、広大な農地や牧草地を移動する足として使われる特殊なバイクだが、ヤマハはこれを1980年代半ばに日本で発売。
同時期に登場したセロー225やTW200などと同様にオフロードモデルで細分化した需要を見込み、AG200は「ヘビーデューティトレール」をキャッチフレーズとしたが……。前後の大型キャリヤ、低中速トルク重視のエンジン、チェーンケースガードなど、道なき道をトコトコと走りやすそうな道具感は、一部マニアの心をソソった(かもしれない)ものの、残念ながら日本では定着しなかった。空冷単気筒196ccエンジンは最高出力16ps、価格は32万円。
■セロー225やTW200などと同様、XT200系エンジンをベースとし、専用のキャリヤやマッドガード、カバードチェーンケースなどを装備。国内では短命だったが、豪州などオセアニア地域では、今なおマイナーチェンジを受けつつ現行モデルが販売され、農耕地の移動手段として活躍している模様。
■1985年のAG200の国内カタログより。先述した専用装備以外にもハンドガード、厚みのあるシート、ニュートラルに入れずにクラッチを切ったまま固定できるクラッチロックレバーなど、独特な機構も付加される。
ヤマハ YD250(1986年9月発売)「ターゲットはバイク便!? 都会の快速移動をねらった業務車=ワークホース」
シティ・トランスポーター、マルチユーティリティバイクをキャッチフレーズに登場した同車は、簡単に言えば軽二輪版のビジネスバイク。カテゴリーとしてあってもよさそうで、ヤマハも当時の新車リリースで「不在の状態だった軽二輪トランスポーターのカテゴリー」に同車を投入したとコメント。
実用トルク重視の空冷4スト単気筒(最高出力20ps)を、ちょっとクラシカルでオーソドックスな車体に搭載。おまけに独立型のリヤシート部はボルトを外した下に大型キャリヤを装備し、チェーンカバーを採用するなど、仕事での耐久性や利便性を考えた仕様だった。
当時から増えてきたバイク便ライダーもターゲットにしただろうが、YD250を街なか見かけた印象はなかった。ライダーは意外とお仕着せ的な仕様を好まないという傾向の現れか。価格は31万8000円。
■ビジネスバイクとはいえ、125ccクラスとは差別化を図り、タンクやフェンダーはクロームメッキ仕上げで質感を向上。チェーンは泥や汚れを防ぐフルカバードタイプ。社名や店名などを入れられる前フェンダー上のパーソナルプレートは、クラシカルな雰囲気にひと役買っている。
■1986年の初代YD250の登場後、ホンダとヤマハの密かな軽二輪ビジバイ競争は続き、1988年のホンダCD250U登場翌年にヤマハは新型YD250を発売。シングルシート+後部専用キャリア仕様のYD250、ダブルシート仕様のYD250Sの2タイプを用意したのもCDへの対抗意識を感じさせるものの、勝敗付け難く90年代を迎えて間もなく両軍退却となった。
ホンダ FTR250(1986年2月発売)「さらにダートラレプリカを突き詰めたけれど……」
1982年発売のFT400/500に続き、外観をよりダートトラックレーサーのムードに高めて発売されたのがFTR250。今回はホンダのワークスレーサーRS750Dが1984年、1985年と連続でアメリカAMAのダートトラックレースのメーカー&ライダーチャンピオンを獲得した勢いに乗じてのレプリカ発売。
ワークスマシンのトリコロールカラーをまとい、ゼッケンプレート風の大きなサイドカバーやワイドなハンドルバーもそれらしい雰囲気で仕立てられたが、やはり当時のオンロードレーサーレプリカブームの中で埋没。
ダートレーサーのレプリカは、日本市場ではまたも浸透しなかった。XLR系の空冷4スト単気筒は最高出力27psを発揮し、価格はキック仕様が38万5000円、セル仕様が39万8000円。
■1986年のFTR250のカタログ。FT400/500の時よりも明確にダートスポーツを打ち出した文章と写真で、ダートトラックレーサーのレプリカをアピール。しかし、市場に浸透するにはまだ時代が早かったようだ。
ホンダ AX-1(1987年12月発売)「新しい視点のバイク=生活コンポーネントギア!?」
「テニスやスキーを楽しむように、パソコンやオーディオに興味があるように」バイクも気軽におしゃれに遊べる道具にしたいという、あまり染み入らない主張で登場した『生活コンポーネントギア』のAX-1。
軽量で足が長めの車体は前19/後16インチを履き、街なかで軽快に走れてオフもそこそこイケそう。いわゆるオン/オフで走れるデュアルパーパス車だが、あとひとひねり別の提案をしたかったのは伝わってくる。
フレームマウントのメーターバイザー一体型デュアルヘッドライト、チューブレス対応のアルミキャストホイールにその主張が込められ、新開発水冷単気筒(最高出力29ps)は量産4ストで初採用というスリーブレスNSメッキシリンダーで気合が入っている。……が主流にはなれずに1990年代の半ばに国内市場からは撤退。思いは伝わりにくかったものの、モデルの素性はよかった惜しい一例。当時価格41万9000円。
■オンオフのデュアルパーパス車色を薄めるべく採用されたホイールはキャスト(タイヤはチューブレス)、フレームマウントのメーター類+ヘッドライト一体型ボディも特徴的。新開発の水冷単気筒は、同車のほか1991年登場のオンオフモデルXLディグリーにも搭載されたが、この水冷単気筒の系統は2000年を待たずに途絶えた。
ヤマハ TDR250(1988年1月発売)「レプリカブーム後を模索したハイパー・スーパーバイカーズ」
オンロードレプリカブーム以降のバイクトレンドを模索する動きはこの時期から盛んだったが、ヤマハの提案の一例がTDR250。思い切りスパルタンな性能を、ストリートとオン・オフシーンで味わわせるもので、エンジンはTZR250系の水冷並列ツイン(最高出力45ps)をベースに、2ストで世界初というデジタル進角CDI点火方式を採用。これを新設計ダブルクレードルフレームに搭載。前18/後17インチ採用で、デュアルパーパス系としては、ややオン寄り指向。
TDRは、北米で1979年から数年間人気を博したスーパーバイカーズ(ロード、ダートトラック、モトクロスのミックス競技)レースに着想を得たモデルと言え、レプリカブームの中にあってその異色の高性能車は一時期人気を博した印象はあるものの、一代限りで終了。価格は47万9000円。
■TZR250系の高性能パラレルツインを専用フレームに搭載したTDR250。スーパーバイカーズレプリカを意識して、カタログにはオフヘルメットにゴーグル、オフロードブーツという出で立ちのライダーが登場するが、走るフィールドはオンロードからワインディング、そしてダートまで写真展開。そして「道の選択権は、ライダーにある」と主張。
ヤマハ BW’S(1988年4月発売)「プレイ・スクーターで、なにプレイする!?」
ロングストロークの前後サスペンションを採用した高めな車高と、太めのブロックパターンタイヤ、遊び心のあるデュアルヘッドライトなどが特徴的な異色スクーター。「フィールドを選ばないから楽しさも大きい」とアピールする同車は、「未舗装路やちょっとした荒れ地でのプレイ機能も兼ね備えた」と、スクーターの枠を越えた走りをねらったモデル。
ダートを走らせればそれなりの走破性能を見せたと言われるものの、50ccの初代モデルはその価値を十分見い出されることもないまま一旦終了。その後1998年に2代目が意匠と中身をブラッシュアップして新登場するが、これは台湾ヤマハ製造モデルの正規輸入販売車だった。空冷2スト単気筒エンジン搭載で最高出力6ps、価格14万9000円。
その2代目も長続きはしなかったが、2012年、国内正規モデルにBW’Sの車名が突如として復活。時代に即しエンジンは水冷4スト単気筒となったが、そのコンセプトは受け継ぎ『PLAYゲンツキ』のキャッチコピーが与えられていた。
■プレイ・スクーターをアピールして登場したビーウィズ。ワイドなブロックパターンタイヤとデュアルヘッドライトが目を引く。一見ダートも走れるポテンシャルを感じるが、カタログ全体ではマリンスポーツ感を強めに打ち出しており、初期のビーウィズは自転車のジャンルで見られるようなビーチクルーザー的な立ち位置もねらったのか!?
ホンダ CD250U(1988年4月発売)「ヤマハYDに負けじと軽二輪版CDを投入。地味に火花を散らした250ビジバイ対決」
高速道路にも乗れるビジネスバイクという、ありそうでなかったカテゴリーをYD250で狙ったヤマハに対抗し、ホンダもCD250Uを投入。YDとの違いは、最初からシングルシート(後部は荷台)とダブルシートタイプを用意したことで、カラーやデザインは125ccクラス以下のベンリィCDシリーズを踏襲しつつ、フロントフォークにラバーブーツを装着するなど、トラッドな雰囲気も醸し出す。
エンジンは旧型レブルやその前のアメリカン250Tシリーズ、元をたどればCD125Tに行き着く空冷4スト2気筒で最高出力22ps。実用的で扱いやすい特性は、仕事でも活躍してくれそうだが、当時の市中のバイク便などを見る限り、同胞から生まれたVT系ネイキッドのほうが数的に目立った印象。お仕事ライダーはもう少し上の性能と中古で値頃感の高いほうを選んだか。価格はシングルシート仕様が31万9000円、ダブルシート仕様が33万円。
■シングルシートタイプとダブルシートタイプの2タイプを用意するCD250U。シングル仕様の車体色はスペースブルーで、キャリヤ部には後付け可能なピリオンシートCOMP(当時価格3600円)もオプションで用意された。一方、ダブルシートタイプの車体色はアキレスブラックメタリック。
カワサキ KS-I&KS-II(1988年1月発売)「お手軽にレース気分を味わえた!? 小排気量スーパーバイカーズ」
これまで新カテゴリーの模索で目立った動きのなかったカワサキが、小排気量クラスで提案したのがスーパーバイカーズレプリカ。TDR250の説明でも紹介したように、発想の元はアメリカのスーパーバイカーズレース。
この雰囲気をもっと手軽なサイズで楽しんでもらおうと企画され、エンジンはAR50/80系がベースの空冷2スト単気筒(最高出力はI=7.2ps、II=9.2ps)を、新開発のセミダブルクレードルフレームに搭載。これに前後10インチホイールを履いてミニ版スーパーバイカーズを演出し、レジャーバイク的にも愛される方向をねらった。
その後ヤマハが水冷エンジンのTDR50/80を投入すると、カワサキは1990年に水冷2ストのKSR-I/同IIを発売。このKSR系は後に4ストエンジンに転換して長寿モデルになったが、これに追随するメーカーはなかった。価格はKS-I=18万3000円、KS-II=19万5000円。
■ロード、ダート、モトクロスを混合したスーパーバイカーズレースを説明するKS-I/IIのカタログ。カワサキはこのカテゴリーの『楽しさの普及』を図るために、誰もが手軽に扱える50ccと80ccのミニマシンを導入したとアピール。
TDR50/80(1988年7月、9月発売)「水冷エンジンを引っ提げて追随したスーパーバイカーズ・ミニ」
カワサキKS-I/IIの登場後、同じくスーパーバイカーズを意識して登場した同車。特にTDR50では、当時隆盛していたミニバイクレースMP12シリーズへの参戦へ誘うなど、公道以外での遊びも提案したものの、後発のカワサキKSR-I/II(1990年)の前に苦戦。モデルは一代限りで終焉。RZ系の水冷エンジンは最高出力7.2ps(50)、10ps(80)で、価格は22万9000円(50)と24万9000円(80)。
なお、一時期隆盛の兆しがあったスーパーバイカーズ系は、数年後に欧州発祥のスーパーモタードカテゴリーに取って代わられた。こちらはスーパーバイカーズからダートトラックを抜いたロードとモトクロスのミックスレースで、車高の高いモトクロッサーをベースに17インチを履かせたモデルが主流。1990年代後半の国内メーカーもカワサキDトラッカーを筆頭に各社からモタード系モデルが発売された。
■TDRならではの特徴はフレームマウントのハーフフェアリング。250とも共通のイメージでTDRミニの世界をアピールするも、後に水冷エンジン化と12インチ化で登場したKSRに軽さとコンパクトさ、そしてスーパーバイカーズっぽさなどで人気を奪われ、TDRは1990年を過ぎて間もなく生産終了。
まとめ●モーサイ編集部・阪本 写真・カタログ●八重洲出版アーカイブ