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うさぎは飛躍の象徴
2023年は十二支でいうところの卯年、いわゆるうさぎ年にあたります。
うさぎは十二支で4番めの干支で、その飛び跳ねる動きから飛躍や、多産であることから子孫繁栄の象徴と言われています。
因幡の白うさぎといった古事記にも登場し、日本では古くから馴染みのあるうさぎは近年ペットとしても人気です。うさぎの数え方は1羽、2羽……と言うこともありますが、ペットのうさぎの場合は頭や匹を使うことが一般的で、羽は食用のものをカウントするときに使うそうです。
うさぎは英語だとRABBIT(ラビット)、それとBUNNY(バニー)という言葉もあります。こちらは「うさちゃん」といった感じの幼児語らしいのですが、バニーガールとは言っても、ラビットガールとは呼ばないですね。そういうものなのでしょうか?
ちなみにアメリカ発の雑誌プレイボーイのキャラクターはうさぎですが、これは前述した多産であることを生殖能力が盛んと捉え、それゆえにうさぎがキャラクターになっています。
戦後の日本を跳ね回ったうさぎ
さて、二輪の世界でうさぎといえば今のスバルの前身である富士重工業、さらにその前身である富士産業が1946年から1968年まで生産していたラビット(スクーター)でしょう。
富士産業は太平洋戦争時に一式戦闘機 隼や零戦のエンジンを製作していた、当時東洋一の航空機メーカーと言われた中島飛行機を祖にする会社で、敗戦後に中島飛行機から改称し非軍需産業への道を歩み出したメーカーです。
航空機の生産はもちろん、研究すら禁止された航空技術者たちが目をつけたのが戦後に入手したアメリカ製スクーターで、日本でも移動手段として定着すると考え早速試作車の製作にかかりました。このときまだ工場に残っていた爆撃機「銀河」の尾輪をタイヤに利用したのは一部ではよく知られた話。そして1947年に量産車を完成させ「ラビットスクーター」として販売を開始しています。ラビットという車名の由来はボディ後部の膨らみがうさぎの後ろ足のようだとか、ハンドルがうさぎの耳のようなど、諸説あります。
ラビットスクーターはモデルチェンジを重ね、会社名が富士産業から富士重工業に変わったあとも1968年まで生産は続けられ、黎明期の富士重工業を支えた重要な商品となりました。1958年発売のスバル360もラビットの存在があったからこそ生まれたものかもしれません。
過去にモーサイではラビットスクーターとそのライバルであったシルバーピジョンと合わせて、その登場から終えんまでを特集した別冊モーターサイクリスト誌の記事を掲載しています。
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史1】二大航空機企業が選択したスクーター開発(〜1946年)
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史2】困難をはねのけ進化・発展(1947〜1950年)
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史3】激しい販売合戦の勃発(1950〜1956年)
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史4】高度経済成長と爆発的なスクーター需用
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史5】市場に衝撃を与えたライバルの登場(1956〜1959年)
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史6】急速に縮小するスクーター市場(1960〜1963年
【ラビットvsシルバーピジョン 国産スクーター戦後開発史7】歴史の荒波に消えたスクーターたち(1964〜1968年)
このほかモーター関連のうさぎ
スバルのモータースポーツ活動を支えるSTI(スバルテクニカインターナショナル)は数年前までSTI製ラビットマークをステッカーとして販売していました。いまでもスバル インプレッサのリヤゲートなどに張っている熱心なスバリストを見かけます。現在では廃盤商品となっていますが、再販を望みたいアイテムです。
フランス語だとうさぎはLAPIN(ラパン)。こちらはスズキがアルト・ラパンという車名に採用しています。グリルのバッジなど、デザインの所々にうさぎの意匠も使われています。アルト・ラパンは女性に向けたモデルで、うさぎの可愛らしさと軽快さなどをイメージして命名したのが由来だそうです。
極めて迅速に、という意味で脱兎の如くという言葉があります。こちらは日産自動車のブランド、DATSUN(ダットサン)のダットという言葉の意味のひとつでもあります。素早いという意で採用しているのでしょうね。
リポート●飯田康博 写真●八重洲出版/スズキ