ヒストリー

【傑作昭和レーシングマシン列伝】其の2:世界を震撼させたホンダフォアの誕生(後編)

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時代を創ったホンダの名機

MV2気筒とホンダ4気筒の初対決は、翌’60年のマン島T.T.で実現した。
この年のために用意されたRC161は、ベベルギヤシャフトの代わりにスパーギヤによるカムギヤトレインを採用。
その意図はベベルギヤシャフトの捻り剛性不足による、エンジン性能への悪影響を排除することにあったという。

●’60年シーズン用のRC161は、RC160時代のボトムリンクフロントフォークに代わり、テレスコピック型フォークを採用。キャブレターとの干渉を避けるための、燃料タンクのえぐりが外観上の特徴だった。

350/500㏄クラス用MV4気筒のように2・3番シリンダーの間にカムギヤトレイン用のトンネルを設けるのではなく、クランクシャフト後ろのプライマリーシャフトから、シリンダーヘッドまでの間に斜め配列でアイドラーギヤを並べていた。
この配列はMV方式よりもシリンダーの全幅を狭めやすく、点火系のマグネトーという補機の駆動にも使えるというメリットがあった。

●’60年7月の西ドイツGP以降の3レースに使用された後期型RC161は、MV 2気筒に迫る速さを示した。写真は翌’61年に2RC143を駆り、ホンダ初の125㏄王者となったT.フィリスとRC161。

また外観上の大きな特徴として、直立したシリンダーを持つRC160に対し、RC161のシリンダーは35度と大きく前傾していた。
この構成はシリンダー背面の空間を大きくとることに目的があったのだろう。
浅間を走ったRC160のシリンダー周辺には、シリンダー後方へ冷却風を送るための整流板が急遽現地で取付けられていた。
それは実際に浅間のコースを走って露呈した冷却不足を補うための措置だったが、この経験をカムギヤトレインを新たに採用するRC161のデザインに反映させたと思われる。

●燃焼室はスカル鋳込み式で、これはすべてのRCレーサー共通の使用。欧州のエンジニアたちが採用をためらった4バルブを、果敢な挑戦により見事モノにしたことが、ホンダの成功の要因といえるだろう。

125㏄モデルより登場の遅れた250㏄のRC161だが、’61年度の世界GPの結果からすればMVやMZを相手に、125㏄クラス全5戦中1度も表彰台に上ることもできなかったRC143に対し、RC161の残した成績は大健闘と呼ぶに相応しいものだった。
緒戦のマン島T.T.では4〜6位入賞。第4戦では田中健二郎が3位に入りホンダ初表彰台を獲得。第5戦アルスターGPではT.フィリスとJ.レッドマンが2、3位入賞。
そして最終第6戦イタリアGPではレッドマンが2位に入賞している。

参戦初年度であるにも関わらず、RC161の活躍でホンダはこの年の250㏄メーカータイトル2位の座についた。
欧州のメディアもホンダ4気筒の実力を認める文章を、盛んに記すようになった。
翌’61年初頭、MVはホンダとの直接対決を避けるかのように、ワークスチームとしての出場を停止する旨を表明。

燃料タンクに「個人出場」と大きく記した350/500㏄4気筒と250㏄2気筒を貸与される、という形式で、G.ホッキングが唯一のMVライダーとしてシーズンを戦うこととなった。

’61年全11戦で競われることになった世界GPで、ホンダ4気筒は猛威を振るうことになった。
新開発されたRC162は、吸排気系の見直しなどの改良により40馬力まで最高出力を高めるとともに、強心臓に見合った体躯として2本メインチューブを持つ新デザインのダイヤモンドフレームを採用していた。

●’61年第2戦西ドイツGPで優勝した高橋国光のRC162。RC161時代のクランクケース下の大型オイルパンを廃し、オイルタンクをシート下に配置。排気管の取りまわしを改善することで、バンク角を向上させていた。

●RC162の機関構成部品群。アッパークランクケースと一体となったシリンダー、中空円柱型のタペット、スパーギヤによるギヤトレイン機構など、後のRCレーサーの標準となった特徴の数々を散見することが出来る。

開幕戦のスペインGPこそホッキングが優勝したが、これがMV2気筒があげた最後のGP250㏄クラスでの勝ち星となるとは、多くの者が思わなかっただろう。

●’65年、MVは’50年代設計の4気筒に代わる新型3気筒をヘイルウッドとG.アゴスチーニに託すが、レッドマンとホンダ4気筒が僅差で350㏄タイトルを守り抜いた。写真はダッチT.T.で優勝したレッドマン+2RC172を追うヘイルウッドとMV3気筒。

第2戦西ドイツGPで高橋国光が日本人GP初勝利を記録。
次戦のフランスGP以降の9レースはホンダ4気筒がすべて表彰台を独占するという完勝劇を演じてみせたのだ。

名機RC162の車体・エンジンの基本設計は、その後生み出された250/350/500㏄クラス用4気筒の原型にもなった。

またホンダが連戦連勝をし始めたこの時期から、その甲高い独特のエキゾーストノートは、畏敬の念とともに「ホンダサウンド」と呼ばれることが定着していった。

当時の日本人のほとんどにとって、未知の世界だったグランプリの場に開拓者として乗り込んで行ったホンダは、遥か先をいく欧州の先達たちをわずか3年で乗り越えてみせた。
そして王座に着き、追われる立場となったホンダは、後を追って世界へ打って出た日本の2サイクルメーカーと、’67年まで熾烈な戦いを繰り広げていくこととなる。

●’67年シーズンにヘイルウッドが駆った2RC181は、剛性不足を補うべくフレームに改良が施されたが、80馬力をゆうに越える心臓部にマッチした車体をホンダは与えることが出来ず、アゴスチーニとMV 3気筒に屈する結果に終わった。

9年間・合計137のグランプリレースを戦って得た18のメーカータイトル、という一企業としての栄誉に留まらず、先駆者としてのホンダが果たした日本モータースポーツ界への貢献は、とてつもなく大きいものであることは、万人の認めるところであろう。
 

 

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